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会社概要

正式名称は有限会社小山(こやま)商店です。昭和4年に東京の木場(当時深川区で現在江東区)で創業し、秋田材(天然杉)を扱っていました。そのころ秋田材は国有林の払い下げを主体として、限られた組合員のみが扱いを許されており、組合員には営林局?より金看板が与えられていたそうです。古き良き時代といえましょう。

そして第二次大戦中の統制令により営業停止、東京大空襲により全てが灰となり終戦、社長は過労のため帰らぬ人となり休業を余儀なくされます。

営業を再開したのは昭和27年。息子に当たる現社長はこれまでの扱い品目を変更し椽甲板を専門に営業を始めます。産地で仕入れた原板を加工して木材市場に出荷しました。

東京オリンピックまでは輸送手段は鉄道と馬車。私も子供の頃は馬の糞をよけて歩いたものでした。
掘り割り(運河)ではポンポン蒸気が筏を引っ張り、製材機のモーターの音が鳴り響く、お盆には神輿が練り歩き、正月には店先にきれいに並べられた材木の上に大人の背丈よりも大きい干支の絵が描かれる、当時、木材の日本最大の流通拠点だった木場はそんな街でした。

オリンピック以降の高度成長時代に入ると家屋の洋風化が急速に進み、椽甲板を扱う店も次第に少なくなりましたが、当社はがんばります。椽甲板に特化していることで「小山に行けば何でも揃う」と評判を取り、いつしか「えんこの小山」と呼ばれるようになりました。また椽甲板自体もそれまでの桧一辺倒から多品種へと内容が変わり始めます。

そしてオイルショック後の51年には東京都による集団移転計画により現在の新木場に移りました。

木場の歴史は移転の歴史ともいえるほどで、江戸時代初期は現在の日本橋や神田に散らばっていたものが、17世紀中頃にお上の命により隅田川東岸の永代島に、そして18世紀初頭にはさらに東の猿江町へ追い立てられ、腰を落ち着けるまもなく現在の木場付近(当時は海辺)に移されたのです。
周囲の開発が進むと沼地同然の郊外に追われていたわけです。
もっとも新木場の次の移転先は、平家の向こうを張って東京湾の海底という噂がもっぱらですが・・・。

そうこうしているうちにガーデニングブームの影響もあり、屋外にウッドデッキを設置する現場が増えてきました。当初はレッドシーダーが使われていましたが、高温多湿で雨量の多い日本では欧米に比べると耐用年数は5〜10年と半分以下に過ぎず、さほど普及しないだろうと思われました。
この状況を一変させたのがイペに代表されるハードウッドデッキでした。最初に手に取ったときには木というよりは石に近いと感じたものです。耐用年数、強度共に重歩行での使用に十分耐える性能で、公共物件を先駆けとして拡がり始めました。これからは一般住宅にも設置され、家族の団らんやご近所との気軽なお付き合いの場として使われるのではと思います。昔の縁側の役割がウッドデッキに形を変えて、新しい日本の住まいのあり方として受け継がれていくのでしょう。
えんこの小山はこれからも椽甲板・羽目板・ウッドデッキ材の専門店として、時代に合った提案を続けていかなくてはと考えています。

ところで、電子商取引などというと聞こえはよいけれど、今まで見ず知らずの会社にお金を支払うのは不安なものです。 いくら本人が「私は大丈夫」と言っても、それが信じられるくらいなら最初から心配する必要はありません。

そこでWeb上で検索できる第三者(興信所)のデータを利用することをお勧めします。
これはニフティサーブの会員でなければ利用できませんが、当社の場合、メニュー画面から企業/経済/人物/行政→企業概要(国内)→帝国データバンクまたは東京商工リサーチの企業情報と進んで、小山商店で検索するか、電話番号03-3521-7373(代表)を入力します。

料金として1,200円かかりますが、D3やD4といった低い評点が出てくると、調べておいて良かった、と胸をなで下ろすことがあります。もっと困るケースでは、データそのものがないことがあり、設立から間もないか、ペーパーカンパニーと推測できます。
評点だけでなく、設立年や業態も記載されていますので、判断の参考になると思います。
なお、詳しくはわかりませんが、日本経済新聞社系のサイト他からも照会できるようです。

現住所
郵便番号136-0082 東京都江東区新木場3-7-21
有限会社 小山商店 電話 03-3521-7371(ネット担当)

地図 (グーグルmap、ストリートビュー)


 


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